deadmen talking

2007年3月25日
レバノンのシアタープロダクションによる
演劇を観る。

16ものセクトに分かれて何十年も抗争に明け暮れる国。
その抗争に巻き込まれ死んでいった者たちが、

ソファに座って語る。百物語のように。
それが終わったとき、4人の演者はむくっと立ちあがり、
幕の後ろに消えていく。

彼らは死者なのか生者なのか、一瞬めまいがした。

東京で上演されることの意味。
訳がわからない認知できないことが世界のどこかでおきているということ。

その夜、ドイツ人の友人にその話をしたら、
彼女の友人にもレバノン人がおり、(カソリック。レバノンでは
マイノリティーオブマイノリティーズ)
カナダに住んでいるとのこと。

また、彼女のパートナーのモデルのようなスパニッシュ。
低い声がクールではないか。

今夜は東京のスパニッシュコミュニティーを垣間見させてもらう。

東京でそんな話をする、ということに、そういう時代になってきたのか、という気がする。

時代が動くときというのは、予感で始まる。

とっても小さなうねりなのだが、その小さな渦はいずれ大きなものになっていくだろう。

今、以前のエントリーでとても面白いと言っていた
20代後半の女性陣が偶然、同時にそれぞれスタックしている。
経済的、社会的な障害が立ち上がってきている。

恐らく乗り越えていかれるのだろうが、今がふんばりどころだと思う。われわれのささやかなコミュニティにためにも。

プロダクションを招聘した同世代の相馬女史には賛辞をおしまない。彼女も小さなうねりの一つだと思う。

次は中南米シリーズとのこと。

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