「関係の空気」「場の空気」
2006年7月2日「常に誤読される危険をテキストは秘めている」
ってことで。言わせてほしい。
以前の記事で
「空気読め」という発言に対する違和感を書いたことが
あったと思う。
自分でしっかり答えを見つけることができれば
それが良いのだが、
冷泉彰彦さんの書いた
「関係の空気」「場の空気」(講談社現代新書)
はタイムリーだったので読んでいる。
以前と比べると
日本は
それぞれの発言者の前提条件が
千差万別なので
よーく考えて気をつけてしゃべりましょう。
タメ口はやめて、「です、ます」でしゃべりましょう。
ということなのだ。(誤解しているかもしれないが)
確かにスタイル論で言えば
「タメ口」はよくない。
しかし、「よく考えて」と(文中ではデコードとなっているけど)
コンピュータじゃないんだから、人間て。
関数じゃないのよ。ファンクションじゃないのよ。
誤解の可能性をなんか排除してるような気がしました。
これって
時間効率でいくと
非常に非効率的なのだ。
考えなければいけない。
(一考して適切なことを言うこと、
思ったことをそのまま言うこと
一考したけど結果的にずれたことを言うこと)
この三つの条件でどれを選ぶ?
(まー上の三つを選ぶ状況も
すぐに
ちょっと待てる
どれ選んでも大丈夫)
という選択肢ぐらいはありそうだが)
でも忙しい人はそこまで余裕あるか?
私が思うのは
ギャップを認め合うこと
を前提とすることからはじめること。
これしかない(今の時代状況として)
若干前提がそれぞれ違っていても
その差異を埋めていく作業にこそ
コミュニケーションの核心があると思う。
発言する前から
相手はこんなことを欲しているのかな、
いろいろと考えていたら
時間の無駄。
とりあえずは思ったことを言ってみる、
というのが良いような気がする。
で、そこでわかんなかったら
「聞く」
日本語で会話すると、周りに対しても、自分に対しても甘くなる。
そこの自覚が必要なのだ。
「わかるようにしゃべってくれよ」(内心)
「聴く方がわかってくれよ」(内心)
この甘えのループなのだ。
第五章の提案その1には
違和感を感じたので、メモ。
ま、いずれにせよ
日本語には余裕がないのだ。
長期的視野の「空気」ではなく
その場、その場の極短期的視野での
「空気よめ」と言われるから
なにか、釈然としないのだ。
まねっこしてモノつくって
安くていい物を一丸となって
セールスしている間は良かったけれど、
中、韓、インドの勃興の中でおんなじ土俵で
場読め争いなどしているヒマあるんだろうか。
コストストームが席巻しつつあるのに。
まードメ市場ならOKなのだろうけど。
誰か海外市場でがんばっている方異論があれば。
ほんとに言いたいのは
「正解を求めすぎて、誤解されるのをほんとに嫌う」
自戒もこめて。
なんか訳わかんなくなったが。書き出しと締めが一番言いたいことです。
ってことで。言わせてほしい。
以前の記事で
「空気読め」という発言に対する違和感を書いたことが
あったと思う。
自分でしっかり答えを見つけることができれば
それが良いのだが、
冷泉彰彦さんの書いた
「関係の空気」「場の空気」(講談社現代新書)
はタイムリーだったので読んでいる。
以前と比べると
日本は
それぞれの発言者の前提条件が
千差万別なので
よーく考えて気をつけてしゃべりましょう。
タメ口はやめて、「です、ます」でしゃべりましょう。
ということなのだ。(誤解しているかもしれないが)
確かにスタイル論で言えば
「タメ口」はよくない。
しかし、「よく考えて」と(文中ではデコードとなっているけど)
コンピュータじゃないんだから、人間て。
関数じゃないのよ。ファンクションじゃないのよ。
誤解の可能性をなんか排除してるような気がしました。
これって
時間効率でいくと
非常に非効率的なのだ。
考えなければいけない。
(一考して適切なことを言うこと、
思ったことをそのまま言うこと
一考したけど結果的にずれたことを言うこと)
この三つの条件でどれを選ぶ?
(まー上の三つを選ぶ状況も
すぐに
ちょっと待てる
どれ選んでも大丈夫)
という選択肢ぐらいはありそうだが)
でも忙しい人はそこまで余裕あるか?
私が思うのは
ギャップを認め合うこと
を前提とすることからはじめること。
これしかない(今の時代状況として)
若干前提がそれぞれ違っていても
その差異を埋めていく作業にこそ
コミュニケーションの核心があると思う。
発言する前から
相手はこんなことを欲しているのかな、
いろいろと考えていたら
時間の無駄。
とりあえずは思ったことを言ってみる、
というのが良いような気がする。
で、そこでわかんなかったら
「聞く」
日本語で会話すると、周りに対しても、自分に対しても甘くなる。
そこの自覚が必要なのだ。
「わかるようにしゃべってくれよ」(内心)
「聴く方がわかってくれよ」(内心)
この甘えのループなのだ。
第五章の提案その1には
違和感を感じたので、メモ。
ま、いずれにせよ
日本語には余裕がないのだ。
長期的視野の「空気」ではなく
その場、その場の極短期的視野での
「空気よめ」と言われるから
なにか、釈然としないのだ。
まねっこしてモノつくって
安くていい物を一丸となって
セールスしている間は良かったけれど、
中、韓、インドの勃興の中でおんなじ土俵で
場読め争いなどしているヒマあるんだろうか。
コストストームが席巻しつつあるのに。
まードメ市場ならOKなのだろうけど。
誰か海外市場でがんばっている方異論があれば。
ほんとに言いたいのは
「正解を求めすぎて、誤解されるのをほんとに嫌う」
自戒もこめて。
なんか訳わかんなくなったが。書き出しと締めが一番言いたいことです。
コメント