The Life Of David Gale

2006年2月25日
を観た。

テキサス州の死刑制度にまつまるスリラー。
最後の最後の最後まで、引っ張られます。

被害者遺族としては、罪人を殺したい、死刑にしたい、
その気持ちはわかる。
しかし、罪人の家族(死刑囚で死刑が執行された場合)は「被害者遺族」にはならないのか?あんたら罪人の家族は黙って堪えろと言う権利は、原告(≒国家、共同体、被害者の関係者)には
あるのか?

「死刑」という罪の存在は認めるが、執行は?というスタンスもありうるだろう。死刑は認めるが、死刑制度の存在はちょっとあり方考えましょうよ、のような。

人間には「想像力」がある。殺した気分になるということだ、が・・・。果たして、身内が殺されたとき、どんな気持ちになるのだろう。その判断にいたるには、その身内との関係の深さも
それぞれ違うだろうし。

果たして、イーブンで痛み分けなのか?
スーパーリベラルの森巣氏は
「死刑は認める。ただし、その被害者遺族が刑を執行する、という前提において」と、どこかの本で言っていた。
私にはできない。よって、現行の死刑制度には、反対だ。と。


刑務所などあのロケ地はすべて本物だそうだ。
文化の違いを感じる。
また、死刑執行の際は、PR担当が最後の食事のメニュー、
執行で発生する税負担を明確に発表する。

本当に良くできた脚本で、脚本はその脚本家のデビュー作だそうだ。
「Infernal Affairs」といい、
いいモノに連日であえて非常に気分がいい。

アラン・パーカーの作品はどれも渋い。
中期だと「ミシシッピー・バーニング」や「エンゼルハート」など。

「3年に一本のペースで撮っている。3年という時間を費やすのだから私の手がける作品の脚本はしっかり選ぶ」

「自分の作品は観客に対してしっかり責任をもちたい」

「私はアメリカ人だって誤解されてるけど、実はイギリス人だ。
かなりの作品をアメリカでつくってる。映画制作のシステムがしっかりしてるからだ。あと、アウトサイダーの視点で映画を作れるしね」

「一部のスターがのさばりすぎだ。撮影助手や編集マンと一緒で映画の一スタッフであるという謙虚な姿勢を持つべきだと思う」

「賛否のわかれる作品や一部の観客しかこないような作品をつくってることがが多いけど、そんなのもあっていいんじゃないか」

などなど。
DVDのメイキングより(一部ニュアンス違ってると思うけど。メモとして)

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