disorientation
2004年10月10日方向感覚、というのは
多少はあると思っているのだが、
大阪の市内に住んでいると
どこにいるのかわからなくなるときが
頻繁にくる。山があれば、もう少し方向感覚は安定する
はずなのに。
実家はのどかなところで
電車も二車線の県道も国道もないところ。
酔っ払いのドライバーが田んぼにつっこんでいるような
道しかない。
少し歩き出せば、田んぼにでる。そこからは2000mクラスの衝立のような山々が
どっしりとそこにある。
なんか嫌なことがあるとそれを見て気をまぎらわせていたものだが。
関西に来てまず感じたのが
存在感のある山がない、という現実だ。
まずそれが一番ショックだったような気がする。
大学生活は京都だったおかげで
、京都の大文字や比叡、愛宕、
あるいは、出町柳から見える北山の山並みでなんとか
精神を落ち着かせることができるようになった。
で、就職してからの大阪である。
なんもない。ときおり谷町台地近辺をふらふらしていると
遠くビル越しにちらりと生駒山が見える、あるいは、
天神橋から梅田の高層ビル群の向こうに六甲が見える、
くらいか。
私にとって「山」というのはランドマークで、
それがないとどこにいるのか、所在ない感覚がつきまとう。
だから東京なんて論外で、
大阪が我慢できるのはちらりと生駒、六甲が見えるから。
会社でも11Fのトイレから見える北摂、遠く京都の山々を見て
気分転換をする。
関西に2000m級の山があれば最高なのにといつも思う。
その点、すくない海外旅行のなかで
気に入った街はバルセロナとソウルである。
二つとも共通点があって、山に囲まれていて、
しかもテレビ塔がある、ということに
最近気づいた。
ちょっと場所を探すと、タワーは街のどこにいても
見える。山の緑もビルの隙間から見える。
そしてからっとした青い空。
旧市街の猥雑さもなんとなく似ているような気もする。
定住したらまた何かと不満はあるのだろうが。
別に田舎に戻りたいとか、、大阪に不満があるというわけでも
ないのだが梅田やミナミを歩いているとビルの合間に
山を探している自分に気づく。
多少はあると思っているのだが、
大阪の市内に住んでいると
どこにいるのかわからなくなるときが
頻繁にくる。山があれば、もう少し方向感覚は安定する
はずなのに。
実家はのどかなところで
電車も二車線の県道も国道もないところ。
酔っ払いのドライバーが田んぼにつっこんでいるような
道しかない。
少し歩き出せば、田んぼにでる。そこからは2000mクラスの衝立のような山々が
どっしりとそこにある。
なんか嫌なことがあるとそれを見て気をまぎらわせていたものだが。
関西に来てまず感じたのが
存在感のある山がない、という現実だ。
まずそれが一番ショックだったような気がする。
大学生活は京都だったおかげで
、京都の大文字や比叡、愛宕、
あるいは、出町柳から見える北山の山並みでなんとか
精神を落ち着かせることができるようになった。
で、就職してからの大阪である。
なんもない。ときおり谷町台地近辺をふらふらしていると
遠くビル越しにちらりと生駒山が見える、あるいは、
天神橋から梅田の高層ビル群の向こうに六甲が見える、
くらいか。
私にとって「山」というのはランドマークで、
それがないとどこにいるのか、所在ない感覚がつきまとう。
だから東京なんて論外で、
大阪が我慢できるのはちらりと生駒、六甲が見えるから。
会社でも11Fのトイレから見える北摂、遠く京都の山々を見て
気分転換をする。
関西に2000m級の山があれば最高なのにといつも思う。
その点、すくない海外旅行のなかで
気に入った街はバルセロナとソウルである。
二つとも共通点があって、山に囲まれていて、
しかもテレビ塔がある、ということに
最近気づいた。
ちょっと場所を探すと、タワーは街のどこにいても
見える。山の緑もビルの隙間から見える。
そしてからっとした青い空。
旧市街の猥雑さもなんとなく似ているような気もする。
定住したらまた何かと不満はあるのだろうが。
別に田舎に戻りたいとか、、大阪に不満があるというわけでも
ないのだが梅田やミナミを歩いているとビルの合間に
山を探している自分に気づく。
コメント