まごひき

2004年5月11日
文章ってのはほとんどすべて
どこかにあった文章の借り物である。

複製されるが、複製は完全に元と
対応していない。ずれているところに
「私」がにじみでるのかもしれない。

否、やはり、行動のスタイルだろう。
結局、生身の肉体がどういう行動をとったか。

アクションの中にこそ「私」が生じる。

ということを文章で書くことの矛盾。

どんなに文章がうまくても、しゃべりがうまくても
仕事ができても、

「魅力」という
なんとも形容しがたい
それがない人間を発狂と嫉妬の渦に
まきこむもの。

存在するだけで
周りが明るく、暖かくなれる人間というのが
一番である。

「しかしね。ぼくは思うのだ。
 どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような
 人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と
 虚しいような気がする」(山田詠美「僕は勉強ができない」)

その粉飾物として「お金」がある。

もしかしたら、異性をひきつけるために
「お金」とは生まれたものかもしれない。

「愛」も買えるのだ。交換しあうものだから。

身体・精神的魅力の代替物として「金」がある?

別に失恋したわけでも恋したわけでもなく。

遥か彼岸の地で思うなり

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