perspective
2002年11月3日一部の人間のものの見方が変容しつつある。
彼らは単純に現在の一般的なものの見方に疲れ、飽きてきた。それだけだ。
日本の現代文学で最も好きな作家の一人である、日野啓三(最近闘病生活の末死んだ)。
そして世界で最もパワフルな科学SFクリエイターである(作家とよぶにはいろいろなことを
やってのけているから)、マイケル・クライトン。
両者とも、個別の直接的経験をへて「向こう側」に飛び出たことがある人間である。これを書き表すのは、僕にはまだ難しい。彼らは、偶然物書きであったため、文章でその経験を表わすのに成功している。
読んでいて思うのだが、パースペクティブの変容は個人的にしか起こりえない。
みんなで、というのはありえないらしい。
彼らは「超えたかったら、簡単に超えられるよ」というメッセージを残している。
しかし、「超えないひとはいつまでもそのままでいることもできるよ」、とも言っている。
その判断は個人にゆだねられている。国が指導するわけでもない。ものの見方を変えることが幸せかどうかなんて、その人でない私には
どうすることもできない。
私には幸せかもしれないが、あなたにとっては不幸せかもしれないのだ。
ただ、いくつかものの見方をストックしておくのは、社会で発狂しないですむかもな、と最近思うようになった。やばくなったら
「旅」に出るわけだ。旅先で「向こう側」の果実を食べて帰ってくる。
で、ものの見方を増やすのは、あまり年齢には関係ないらしい。
ただ、個人差があるから、そのパースペクティブを身に着けたとき、その人のメモリーが許容量を超えたら死ぬこともあるだろう。
そういう意味では若いうちに超えておくのがいいのかもしれない。
帰ってこれなかったら、すなわちそれは、この社会での「発狂」として認定される。
日野やクライトンは奇跡的に「向こう側」のパースペクティブを身につけ、現在のそれとも使い分けている。
バランスだ。綱渡りの人生とも言う。(笑)
日本人作家での日野の継承者は池澤夏樹だろう。いくぶん、日野よりは重みがないけど。
まあそんなことどうでもいいのだが。
彼らは単純に現在の一般的なものの見方に疲れ、飽きてきた。それだけだ。
日本の現代文学で最も好きな作家の一人である、日野啓三(最近闘病生活の末死んだ)。
そして世界で最もパワフルな科学SFクリエイターである(作家とよぶにはいろいろなことを
やってのけているから)、マイケル・クライトン。
両者とも、個別の直接的経験をへて「向こう側」に飛び出たことがある人間である。これを書き表すのは、僕にはまだ難しい。彼らは、偶然物書きであったため、文章でその経験を表わすのに成功している。
読んでいて思うのだが、パースペクティブの変容は個人的にしか起こりえない。
みんなで、というのはありえないらしい。
彼らは「超えたかったら、簡単に超えられるよ」というメッセージを残している。
しかし、「超えないひとはいつまでもそのままでいることもできるよ」、とも言っている。
その判断は個人にゆだねられている。国が指導するわけでもない。ものの見方を変えることが幸せかどうかなんて、その人でない私には
どうすることもできない。
私には幸せかもしれないが、あなたにとっては不幸せかもしれないのだ。
ただ、いくつかものの見方をストックしておくのは、社会で発狂しないですむかもな、と最近思うようになった。やばくなったら
「旅」に出るわけだ。旅先で「向こう側」の果実を食べて帰ってくる。
で、ものの見方を増やすのは、あまり年齢には関係ないらしい。
ただ、個人差があるから、そのパースペクティブを身に着けたとき、その人のメモリーが許容量を超えたら死ぬこともあるだろう。
そういう意味では若いうちに超えておくのがいいのかもしれない。
帰ってこれなかったら、すなわちそれは、この社会での「発狂」として認定される。
日野やクライトンは奇跡的に「向こう側」のパースペクティブを身につけ、現在のそれとも使い分けている。
バランスだ。綱渡りの人生とも言う。(笑)
日本人作家での日野の継承者は池澤夏樹だろう。いくぶん、日野よりは重みがないけど。
まあそんなことどうでもいいのだが。
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