知床8日目。

2002年10月24日
すんません、これ水曜日の日記なんですけど。
木曜日は仕事が終わりませんでした。
明日早出して目処たてます。
あと一日で休みだし。


途中で潮が満ちてしまうとどうしても
渡れなくなる箇所があるので、
早起きしていく。

今日は海岸だから
と甘くみてはいけない。
知床の浜は玉砂利なので、歩くととても
痛い。知床は最後の最後まで俺らを痛めつけてくれる。

途中の番屋で漁師さんが鮭をどんどん海に捨てている。なんでも、鮭の卵(なんていったっけ?度忘れした)しか金にならないから、
オスはどんどん捨てて、メスも腹を裂いたら
同じく海洋投棄。
本土では、2千円くらいで売られている鮭も
現場では単なるゴミ。
人の間を通り抜けると、あら不思議、お金が
生まれる。ブラックボックス。
こんなに捨てたら熊さんも来るわな。人はこないけど。

最近有名なクマでは、番屋に忍び込んで
日本酒を器用にこじあけのんだくれて
ぐでんぐでんに酔っ払っているところを
ハンターに射殺された、ということがあった。


以前の記録では、そこの番屋の方にボートで
羅臼港まで乗っけてもらったと書いてあるので、早速交渉してみたらすんなりOK。
ほんと人がいい。

帰りも安心。あとは岬まで。
海岸から、途中上にあがる踏み跡がある。
そこを登っていくと、岬突端まで続く草原に出る。
240度海が見渡せる。
裏には、灯台、そして、知床岳へとつづく
ハイマツの山脈。

誰もいない、と思いきや、なんか一人でうろちょろしている若者発見。
一橋大の5回生。羅臼から、沢釣りをしながら
海岸沿いに岬にきたらしい。
産卵期なので、河口で待ち伏せして、石で鮭の頭めがけてぶつけたら何匹もとれるという。
メスもつかまえて、新鮮な鮭の卵(だから、度忘れしたっちゅうねん)もあるらしい。
おすそわけしてもらって、醤油ぶっかけて
コッヘルで炊いたご飯で即席イクラ(!!思い出した)どんぶり。

その兄ちゃんは宮崎出身で地元の地銀に内定もらってるが五年でやめて放浪すると、家族とも約束交わしているらしい。

そんなことを早口で言うやいなや、ぼくら四人を置いてまたオホーツク海がわの方へ走り出していった。

草原のどまんなかで幕営。
ここちよい眠り。
なんかしらんが岬まで来てしまった。
そんな感じだった。
次の日の朝もいつもと同じように起き、
飯をつくり、撤収して歩き出す。
番屋へつくまで、みんな黙々と歩いた。

お互いなにを考えているかなんてわからない。
ただ歩く。山行きの終盤はたいていそうなる。

今回は北海道の秋らしく、どんより
曇天。いかにも荒野を歩くという感じだった。

これで、一気に北海道がすきになる。
札幌のOBが豪勢に帰り際にもてなしてくれたこともあるのだけど。

山岳部をやめるまで、毎年夏は北海道に行くことになる。

海岸を歩きながら、ただ、まだ生きてたなあ、とか次の冬山どうなるんやろう、とかどうでもいいことを考えていたように思う。山のことしか考えていなかった
幸せな19歳だった。


さて、明日は10月を振り返っておこう。
来年の採用活動に参考になる、
そして、やはり、今の師匠に出会えたことは
本当に良かったとつくづく思うのであった。

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