flow
2002年2月3日レストで竜安寺へ。
小一時間腰を下ろして、
石庭を眺める。
どう角度をかえても
その石の裏がわからないポイント
がある。
世の中にはどうあがいても、
どう求めても、わからないもの、
得られないものがあるということか。
そして、座ったり、立ったり、
左に行ったり、右に行ったり、
視点を移動させることによって
石庭の見え方が変わってくる。
人生とは、石庭を人生にたとえるならば、
見ている人の置かれた立場でまったく異なっている。見方次第で人生はなんとでも変化するのだ。
カップルの見る石庭、外国人のみる石庭、
ビジネスマン、ウーマンの見る石庭、
それらもまた、僕の知りえない石庭なのだ。
僕の見る石庭も刻一刻と変化し、
また、彼らの見る石庭も同様。そして、
知りえない。
それぞれにそれぞれの世界がある。
それは私には決してわからない。
わからないからこそ、他人の世界を見ようとする。
そして、自分の人生もどんどん変化していく。
小一時間腰を下ろして、
石庭を眺める。
どう角度をかえても
その石の裏がわからないポイント
がある。
世の中にはどうあがいても、
どう求めても、わからないもの、
得られないものがあるということか。
そして、座ったり、立ったり、
左に行ったり、右に行ったり、
視点を移動させることによって
石庭の見え方が変わってくる。
人生とは、石庭を人生にたとえるならば、
見ている人の置かれた立場でまったく異なっている。見方次第で人生はなんとでも変化するのだ。
カップルの見る石庭、外国人のみる石庭、
ビジネスマン、ウーマンの見る石庭、
それらもまた、僕の知りえない石庭なのだ。
僕の見る石庭も刻一刻と変化し、
また、彼らの見る石庭も同様。そして、
知りえない。
それぞれにそれぞれの世界がある。
それは私には決してわからない。
わからないからこそ、他人の世界を見ようとする。
そして、自分の人生もどんどん変化していく。
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